生物と無生物

 読みたいときが買い時なのが本だけれども、手が伸びないときのほうがたくさんある。これは図書館レベルとかこれはブックオフレベルとかと自分に言い聞かせ購入を抑えているのは経済的な理由なのだが、それとは別に、購入してもいいのだけれどなんとなく手が出せないものがある。そんな一冊なのが福岡 伸一著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)。
 その一線が動的平衡(ネタばれか!?)にあるかは別として、人の意識を中心に考えてみると境界の変化に振り回される。普段はパッケージされ陳列されているお肉をみても動いていた鶏を思い起こすことは少ない。同じように科学者が単純な生物だろうが高等な生物だろうが殺めることにそれほど苦痛を感じなくなるのは、特殊なことじゃなくて普段の僕らと変わらない。
 その行為について聞いてみると「考えないようにしている」とか「……」とかという答えが返ってくる。自分は思考停止するように思考していたと思う。
 自分の細胞をとりだして培養したら場合によっては増殖するものが出てくる。意思とは関係ないその自分の一部をおそらく気味が悪いと感じるだろう。ゲノムをコピーし増殖を繰り返すさまは圧倒的にリアルだ。小さなドッペンゲンガーたちをみた気がするに違いない。
 細胞は固体から自由になった自分。身体を制御するシステムから解き放たれたものに、意識は宿っていないけれど、聞いてみた気がする。「細胞って生物ですか?」