柏崎

 数日前に疎開先から戻りました・・・・・・。直線距離では、首都圏より福島にぐっと近い新潟ですが、少なくとも僕の周辺は牧歌的でした。その間になんとか時間を作って柏崎へ。本当に時間が限られていて、実質1時間くらいしか見れず。行きの車中でプランを思案しながら運転。結局、市内を車で回り、いつものお店で昼食がてらに話を聞き、原子力PR館によることに。
 震災後の柏崎はたぶん3回目。インフラ的な意味での復興は既に終わっている。当時は崩れていた家屋も、建て替えられている。ただし、商店街を歩いているとわかりやすいのだが、砂利を敷き詰めただけの駐車場が目立つ。真新しいマンションなどもあるが、瓦礫を取り除いて、そのままになっているところも多数。いつも思うがこの町は空が広い。
 中心街から離れた幹線道路沿いには、郊外型の大型店舗が増えていて驚く。ちょっと先には、廃棄物が山積になっていて、ショベルカーが激しく動いていた場所。そこも、何かが建設されるようで、補助金などもあるのだろうけれど、経済活動が活発証拠だと、嬉しくなる。新潟県内でこれほど発展しているところは、多くはない。教科書に出てくる洋食器で有名な燕や三条よりも、様々な店舗が集積している理由もあるだろうが、発展しているように見える。原発がなければ、こうはならなかったはずで、地方の中規模な都市を一つ作るくらいの経済力を生み出す原子力のパワーに「関心」した。浜岡も、周辺の市町村に比べれば「栄え」ていて、福島で大変なことになっていても「手放す」ことは、難しいと素直に思う。田舎者として、この感覚は忘れずにいたい。安全神話によりかかりたくなる気持ちというべきか。脱原発を行うならソフトランディングなのだろう。
 原子力PR館では、案内のお姉さんによれば地震後にお客は少なくなっているとのこと。僕のほかに見かけたのは、老人二人と、家族一組。原子力PR館は、地元では一家のよき遊び場になっています。「住んでいるところから、車ではかったら26kmくらいだったよ」と話していたのは老人のチーム。福島の影がつねにちらつく。
 福島原発の現状についてはパネル展示あり。係りの人にいくつ質問をした。柏崎刈羽では、想定さえている津波は福島より低いこと。タービン建てやは海側にあり、同様の津波がきたら非常電源が水没する可能性があること、これから対策をとることを聞いた。取材申請をしていないがこれくらいは書いていいだろう。もっと、もっと聞きたいことがあったが、聞けず。時間の関係もあり、おいとましました。