イチョウ

 田舎を歩いていると大木(たいぼく)に出くわすことがある。山の中だったり、鎮守の森だったり。そんな勇壮な大木のよりも住宅の敷地内にある幹の直径1mにも満たない一本だけ生えているの木に魅かれてしまう。
 祖父の家には直径1mほどの銀杏の木がある。秋には黄色に色づき見事な姿で楽しませてくれる。イチョウには雌株と雄株があって、ギンナンがなる雌株は強烈な匂いでも秋を感じさせてくれる。祖父宅にあったのは雄株なので匂わない。イチョウの「旬」は秋なのだが、実は初夏のみどりの葉が綺麗なのだ。たくさんの柔らかいみどり色の葉が風にゆれている姿は爽快感満点だ。
 さて、今更ながら魅かれてしまう理由を考えてみると、住宅街には背が高いものが少ないから樹が目立つという結論に達した。しかし、目立つものなら何でも好きだという性分ではないのでさらに考えてみるとひとつの仮説が思い浮かんだ。
 樹を植え、育つには時間がかかる。幹の直径1m以下の樹とはいえ種子から育つには十年以上の時間がかかるだろう。しかも、人為的、環境的影響に左右され常に平穏無事に育つわけではない。ということは、大木は人の(というよりは家族か?)生活と自然に育まれてきたことになる(かなり、論理の飛躍があるなぁ)。だから、住宅街で突然出会う大木が好きなのだ。
 この気味の悪い仮説が正しいかどうかは定かではないが、綺麗に並んだ銀杏並木よりは祖父宅のイチョウを好む自分にとっては気味が悪くても多少は当てはまる気がする。