ブレッソン・伊兵衛・サルガド

 せっかく「啓示」を受けたので空いた時間に都写美へ足を伸ばす。もちろん、伊兵衛とカルティエブレッソンの展示を見に行ったのだが、サルガドの「AFRICA」も開催されてなんとラッキーなことかと心が弾む。伊兵衛とブレッソンを比べると、パンフを読んだすり込み効果のせいもあり確かに、ブレッソンは一点透視図法による遠近法や正弦曲線を彷彿とさせるように人、物、風景を架空のライン上に巧みに配置し、均整のとれた撮影をしている(ようにみえる)。それに比べると、伊兵衛は「自由」だ。保育園でみた紙芝居に描かれている一枚のように距離感を圧縮された、極めて二次元的な「風景」を収めている。法則性の外に出て、偶然性に身を任して披露できる、バランスを崩したバランスの妙技はスナップで本領を発揮するのだろう。ただし、パリやローマで撮影した伊兵衛のスナップを見ると効果は薄れてきている。街並みを構成する建築物や石畳の法則性に従うように、「自由」は押さえつけられている。と、環境と文化による精神のコントロールを思い浮かべながら見ていた。結局、構築主義の意図はわからずじまでしたが。
 サルガドの展示は、あいからわず神々しい。光臨が大地に降り注いでいる。写真は宗教画を超えうるのだ。