マスクに囲まれた

 階段を上って美容院に行くと、受付の人は顔の半分以上を隠すようなにマスクをしていた。特に気にかかるわけもなく席に案内されると、一瞬たじろいでしまった。なんと従業員全員がマスクを身につけていたのだ。次々に視界に入ってくる人たちの顔は、マスクで顔の半分ほどを覆い隠されているために非常に無機質(にみえる)。「いらっしゃいませー」の明るいかけ声とのギャップには苦笑するしかなかった。いつもの担当者が「全店でなんです」と説明してくれた。「新型インフル?」と聞くとちょっとはぐらかされた(笑)。客商売だからしょうがないのか?さすがに歯科医院でも受付はマスクをしていないよなぁと考えていると、「慣れると、鼻から上だけで化粧はすむんですよ」と笑わせてくれる。ちなみに前回、この担当者は僕の耳をちょっぴり切っている。今なら、まれな体験であるいみ「幸運」だったと思えるようになったのは、沢木耕太郎の『イルカと墜落』と『246』でふりかかる災難に身をまかせる沢木の姿が「幸福」そうにみえたからだ。きられた当時はさすがに引いたんだけど、なぜか再度カットを頼んでいる。
 マスク姿の人たちをみていると、まるで宇宙人に囲まれているみたいで、じつは「眼は口ほどに物をいう」って間違いなんじゃないかと思えてきた。人の印象は鼻から下で決まる!と仮説検証のために頭の中でジャイアンなどのモンタージュを行うも結論はでなかった。
 JCcastが公開されています。僕は以前に紹介した移植幹細胞が腫瘍化したって論文は本当だったのか?という記事を土台に話しました。粥川さんはデコード・ジェネティクス社の破産(いやー破産なんて残念な終わり方でした)を、赤木さんは『twitter社会論』を題材に過去から現在のネット社会を論じています。そこで、twitterの特有性について議論になったんですよね。twitter的な機能は(一部?)他でも既に存在していたんじゃないかと。僕もそれから考えていたのですが、結局デザインと操作性が良かったんだじゃないかなぁと。以外と140文字ってそんなに重要ではなくて、一目でおえる2,3行程度の書き込みを眉間にしわを寄せなくとも読めるように、縦列にしたことが全てだったんじゃないかなと、まぁ短絡的に考えてみてるわけです。アーキテクチャ
 twitterを試そうとも、PCをいちいち立ち上げる性格ではないので、スマートフォンの導入を検討している最中です。入力にはiphoneはイマイチ向かない気がして?黒SIMをごにょごにょとNOKIA端末に……。とやってみたいな。現在、検討中。