リスク

 武田さんの「反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク」(日経BPオンライン)を読んだ。原発スイシン派とハンタイ派とをゲーム理論的に並べると帰結点は、どちらも対立しないようソフトランディングを組みたてること。そこにジャーナリズムがどのように調停役として参加できるか。という問題提起でした。
 他に、調停役としての役割を果たしえるのは、シミンウンドウではない、討論や議論を喚起した市民運動。でもこれらも幾度となくつぶれてきたような印象が残る。スイシン、ハンタイを巻き込むことによって生じたのか、それ以外だったのか?検討の余地あり。
 実は、泥沼のような安全討論では結論は導き得ない。招集されるのは工学的安全性の専門科ばかり。最終的には、どこかで安全性議論から離れる必要があり、でもそれは認識されない。しかし、結論からいえば、科学的不確実性を折り込むとどうしても、ソフトランディングしかありえない。スイシン、ハンタイの構造的な問題ではなく、科学を乗り越える「科学的」問題なのだ。
 どこかで、決断が必要で、問題はどこの点で「英断」が行えるのか?これが、もっとも難しい。科学的な確実性を超える不確実性はどうしても残る。それが、露わになったのは今回の震災だったともいえまいか。しかし、武田さん的いえばリリースポントを語れる可能性はどこにあるのだろうか3.11以降の日本は何がかわるだろうか?変われるだろうか?僕は変わりたい。