最終廃棄物

 羨望のまなざしとはまさにこのこと。スウェーデンでは放射性廃棄物の最終処分場の候補地にエストハンマルが選定されている。地元では約80%が受け入れに賛成しているという。記事を読む限り、丁寧なアプローチが功を奏したもよう。日本と隔絶の感がある。日本では文献調査すら一向に進まず、フクシマのこともあり状況は絶望的。でも、原発即時撤廃から段階的廃止までと幅はかなり広いが「脱原発」でコンセンサスはとれていると思われ、議論を進めるチャンスなのだと思う。というのも脱原発には(そうでなくともですが)最終処分場は必須。いままでは原発推進、反対、無関心、いろいろ先延ばしなど、さまざまな人たちが交差することなくバラバラに立場を表明していたわけだが、今となってはさすがに目をそむけるはずがないと信じたい。
 「何万年も管理なんてできっこない」と非難される。しかし、放置するわけにもいかない。地層処理でいいのかも含め議論を仕切りなおしていく必要があるだろう。
 立地自治体に対して電源三法交付金は批判にさらされまっくているが、交付金だって必要だ。発電という「明るい貢献」とはならず、「負」のイメージが強いはず。、なおのこと困難が予想される。立地自治体には原発以上に負担を「お願い」することになるだろう。
 ただ、インフラ的な交付金だけでなく、たとえば、広島、長崎のように修学旅行で子どもたちに訪ねさせ、必要性を体験し学んでもらう。そして、有用性を確認してもらうことで、地元も「誇り」が持てるのではないか。子どもたちが多いだけで町は明るくもなる。放射線管理区域に子どもたちをと批判は多いかもしれない。たったいま思いついた方法なので、別に他のものでいいののだが、問題を立地自治体を封じ込めて、孤立させないアプローチを考えなくてはいけないのだと思う。それが、フクシマから学ぶべきことなんだろうと思う。