繰り返し

 電車の最後尾に乗っていると、リュックと買い物袋をもった白髪の老人が降りようと、扉まで近づいた。そこで車掌は明るく「ここじゃないですよ。違いますよ」と答え座席に座るように促した。それより数分前、走行中にその老人は急に立ち上がり、車掌室まで歩み寄って何かを頼んでいたので、なぜか目を引いたのだ。電車は走り出し、次の次の駅に止まると、老人は一度ホームに降りたのだが、車掌に「まだですよ」と止められ車両に戻った。またさらに次の次の駅で降りようとして、車掌に「まだですよ」と……。僕のほうが先に降りたために、この先のことはわからないが、きっとおじいさんは車掌のおかげで目的地の駅で降りられたのだろう。最近、故あって脳関連の本を集中的に読んでいて、脳の機能マップを漠然と覚え始めた時期でおじいさんの行動理由を考えようとしたとたん、急にアホらしくてやめた。うすうすは感づいていたのだけれど、不思議と脳から原因を考えるとまるでそれが「正しい」かのように、思えてくるのだ。ある種の全能感だな。一般人は脳の「利用方法」に気をつけなくてはいけないと再認識。原因はクリアカットに因果関係を説明できているようにみえるからなのだが、気をつけよう。このあたりを考えるのに、今度の取材は適しているように思えてきた。ある「締め切り」には間に合わなかったが、落ち着いて続けてみよと思う。頭の中はこんがらがって、絡まった毛糸のような状態だけどね。