サングラス

 いい加減ブログ書きなよといわれても放置しつづけ、もう10ヶ月です・・・。このブログで僕の生存確認をしてくれている友人がまだいるので(ありがとう)、久しぶりに更新でも。
 天体好きでないのだがなるべくイベントにのるために、金環日食用のサングラスを用意。サングラスを選んでいるときに、20年くらい前に日食?をみたことをふと思い出した。友人の家の二階で、すすを塗ったガラス板をかざしてくれたのは、友人の祖母だった。子ども二人で交互にすすガラスを通してみる太陽は、オレンジ色だったように思う。
 落下防止用のために窓枠につけられたアルミ製の手すりや天井の低い畳敷きの部屋とあいまって、三丁目の夕日にでてきそうなほどレトロな雰囲気の思いで。バブル末期だから時代錯誤もはなはだしいはずなのだけれど、田舎だからさもありなん。
 天文学会などが眼を痛めないように注意を喚起している。まっみなさん気をつけてください。21日の朝は晴れるといいな。

豪雨

 新潟と福島は大雨。友人は避難生活に入った。とはいっても昼過ぎには雨は弱まり、避難解除されたのですでに帰宅とのこと。信濃川の川幅がかつてないほど広がり、色づいてまるで「黄河みたいだった」とのメールをもらった。見知った場所がえらく様相を変え中継されているのは、何度も見ても不思議なもの。それでも他人事のように思えてしまうところもあって、不感症になったのかと思ってしまう。というのは、数年前の大雨では母校が浸水したり知人たちも大変なめにあったりしていた。あのときは、完全に心を乱されていた。愛着とか愛校精神はないに等しいのだけれど、まだ身近に感じることができたんだろう。物理的距離に浸食されているよう。子どもを連れて避難する知人の姿を考えることで、なんとか近くに引き寄せている。
 地デジ化のカウントダウンをしていたら、アナログTVでそのまま映像が流され続けけて、「狐につままれたような」経験をしたのだけれど、やっぱりTV映像は魅力的で、災害用に必要かなと、再認識する。

サイエンス・ノンフィクション?

 国会図書館で資料調べ。著作権上難しいのはわかるが、なんとか効率化してもらえないか。データとして持ち運びたいな。結果ペーパレスにもなるでしょ。とはいつも思うこと。
 夜は、斉藤勝司さんと粥川さんのサイエンス映画トークを聞きに三鷹まで足を伸ばした。今回は映画で描かれたライフサインエス。こちら予想が当たったのは、ガタカブレードランナーガタカはいうなれば遺伝子カースト制度を描いたもので、サイエンスの世界では有名。ブレードランナーは粥川さんの好みを鑑みて。他は臓器、組織の再生医療関係やクローニングを扱った映画を紹介していた。 
 後から思っていたのだけれど、一般の人は映画で描かれた再生医療をどれだけ実現性があると考えているのか聞けば良かったな。SFはサイエンスフィクションの略ですけれど、フィクションに収まりきらないところが出ているわけで、それでもキンミライとして見られているのだろうか。特に、科学に興味ない人はどうだろう。今度、友人に聞いて見ようと思う。
 予想は外れたのだけれど、僕のお薦めは「月に囚われた男」。月で資源を採掘している作業員が主人公。宇宙にいるだけでSF的と思ってしまう。月に派遣されたのは自分一人だけで、家族にも会えないし、散々な環境なんだけれど、頼もしいロボットと生活を共にしていると仕事中に事故に遭遇する。なかなか応援は来ないし、帰れない。すると自分の仕事に疑問を持つようになり、出自を探り始める映画。だったような気がする。うる覚えで違うかも。派手な演出は全然ないのだけれど、少しじーんとくるフィナーレ。現在の様々な技術を延長すると、おそらく可能でありそうだと思わるSF的跳躍もあるので楽しめると思います。

最終廃棄物

 羨望のまなざしとはまさにこのこと。スウェーデンでは放射性廃棄物の最終処分場の候補地にエストハンマルが選定されている。地元では約80%が受け入れに賛成しているという。記事を読む限り、丁寧なアプローチが功を奏したもよう。日本と隔絶の感がある。日本では文献調査すら一向に進まず、フクシマのこともあり状況は絶望的。でも、原発即時撤廃から段階的廃止までと幅はかなり広いが「脱原発」でコンセンサスはとれていると思われ、議論を進めるチャンスなのだと思う。というのも脱原発には(そうでなくともですが)最終処分場は必須。いままでは原発推進、反対、無関心、いろいろ先延ばしなど、さまざまな人たちが交差することなくバラバラに立場を表明していたわけだが、今となってはさすがに目をそむけるはずがないと信じたい。
 「何万年も管理なんてできっこない」と非難される。しかし、放置するわけにもいかない。地層処理でいいのかも含め議論を仕切りなおしていく必要があるだろう。
 立地自治体に対して電源三法交付金は批判にさらされまっくているが、交付金だって必要だ。発電という「明るい貢献」とはならず、「負」のイメージが強いはず。、なおのこと困難が予想される。立地自治体には原発以上に負担を「お願い」することになるだろう。
 ただ、インフラ的な交付金だけでなく、たとえば、広島、長崎のように修学旅行で子どもたちに訪ねさせ、必要性を体験し学んでもらう。そして、有用性を確認してもらうことで、地元も「誇り」が持てるのではないか。子どもたちが多いだけで町は明るくもなる。放射線管理区域に子どもたちをと批判は多いかもしれない。たったいま思いついた方法なので、別に他のものでいいののだが、問題を立地自治体を封じ込めて、孤立させないアプローチを考えなくてはいけないのだと思う。それが、フクシマから学ぶべきことなんだろうと思う。


 

大空翼は女性でした

 サッカー漫画「キャプテン翼」世代としては、日本が世界一になるなんて、フィクションでしか成り立たないと思っていたけれど。ナデシコ素晴らしかった。どこかでメッシを擁するバルサに似ていると書いてあったが、スウェーデン戦はまさしく、細かいパスをつなぎ中央をこじ開ける展開はまるでバルサのよう。非常に魅惑的な試合内容で3−1。決勝戦では、攻撃に切れがあり、強さとうまさがあったのは米国だったけれど、自分たちのサッカーができない時間が多いなかで、数少ないチャンスをものにし、得た勝利は格別の価値をもつ。準決勝、決勝ともに面白い試合内容でした。五輪では両サイドへの展開力をさらに強化して、安心した試合をみせてほしい。
 かわいそうだったのは裏番組で南米選手権を放送していたNHKのスタッフ。アナウンサーと解説の元マリノス監督の早野宏史はどんな心境でブラジル対パラグアイをみていたのだろうか。そちらもPK戦までもついれ、なんとブラジルが負けた。あぁ無情。
 でも、正直W杯で優勝なんてどうよろこんだらいいのかわからない。W杯ですよ。日本男子がWカップに出られるなんて、生きているうちは無理だと思っていた年代です。ドーハの悲劇で打ちのめされ、岡野ゴールに喚起し、ふたたびドイツWカップの出場が決まるとサッカーに興じた人間です。
 ナデシコたちの年収や代表戦の報奨金が話題になっていたけれど、W杯で優勝までしなくては注目されないなんて、悪夢だよな。まえの五輪だって4位だったわけだし。このあたりは、うまいメディア戦略の構築が急務だな。

不信

 週刊ポスト週刊現代と対照的な記事を書いていて、非常におもしろい件。ポストはホウシャノウの危険性を検証しようと試みていて、一方、現代は「危ない」路線を邁進している。それはさておき、注目すべきは現代に載っている理論物理学者ミチオ・カクへのインタビューにはおったまげた。『パラレルワールド』や『サイエンス・インポッシブル』などの著作もある、著名人。震災後の福島第一、第二を米国ではシュミレーションで検証。その危険性は・・・・・・という内容。とりあえずツイッターでフォローをしておく。
 まわりで渦巻く不信のスパイラルに、巻き込まれていく今日この頃。「もう、ファクトやエビデンスなんてどうでもよいんだな」とひとり言葉をはいてみた。エビデンス至上主義者でもないし、ごり押しする気はもともともっていない。けれど、議論のべースとしてたくさんの文献にあたってみたけれど、ホウシャノウに関しては全敗なかんじ。データを信じてもらえなくなっている。額面道理に受けとる必要はないし、差し引いて考えるアプローチは正統だと思うけれど、全面否定なんだよな。まっ、そんなもんだな現実は。さて、今後はサイドイフェクトについて考えてみるか。

映画

 今年、はじめて蝉の声を聞いたのは梅雨明けの翌日。いつもと違う振動を受ける鼓膜に気づいた時点で、たぶん、鳴き始めからタイムラグが生じている。ノイズキャンセラの自動調節機能のたまもの。人間であることに感謝。これくらい爽快に晴れてくれると、すこぶる気分はいい。夏とうらい。
 ドトールで時間調整をしているときに見かけたのは、映画監督の黒沢清さん。たぶん、間違いない。ノートを開いて何か書き込んでいる。ちょっとしたストーカー気分(笑)。蓮見さんとの本は知っているけれど、最近は映画つくってるのだろうか。近々の作品で思い出せたのはトウョウソナタ。それはどうあれ、いやーでも見ため渋くてかっこいいな。明治の文豪風な顔つき。
 で、黒沢効果ではなく、予定していた映画『奇跡』を渋谷で鑑賞。やっと足を運ぶ。監督は是枝さん。間を大切にする監督なので、徹夜明けの体にはどうかと心配していたが、無事眠ることなくエンドロール。ちなみに、徹夜明けでみたディスタンスでは寝てしまった過去を僕はもっている。主人公は離婚ではなれた家族の再興を望む小学六年生。大阪から母親に実家である鹿児島に引っ越してきた主人公は、なぜ、灰の降る鹿児島市に人が住み続けるのか「意味わからん」と何度もつぶやく。一方、親の争いに辟易していた弟は福岡で父親と「楽しく」生活している。内容は◎。それはさておき、気になったのは鹿児島市の人たちの健康ですよ。灰の降り注ぐ生活というのは、やはり避けたいもの。頭をよぎったのは、ホウシャノウですわ。灰は呼吸器疾患の原因になりそうなもの。データがあるか後日調べていようとは思うけれど、それをこえて、住み続ける理由がある。深く考えた結果ではないが、ひとは鹿児島市に住み続ける。ヒントは作品中にもある。
 ホウシャノウは灰のように許容されない。その違いは、『自然』ではなく放射能を流したのは原発という人為的な営みによるのも一つ。それでも、原発を誘致したのはそこに「住み続けたい」と望んだ人たち。本橋誠一?が監督を務めたチェルノブイリ関連の映画で、避難勧告を承知の上で故郷に戻る老人たちと、ひとりの青年を追ったドキュメンタリーがある。故郷とはそれほど、魅力的な場所なのだ。それを汚したのは原発なのは疑いをもたないが、それでも故郷は強烈な引力を発し続ける。だから、影響がわからない、言い換えると明らかな影響が現状ではわからない低線量被曝がこれだけ騒がれていても、残る方々にも経済的、地域的な理由にほかに「理」があるのだとしっかり考えないと、彼らを不安にするだけではないだろうか。と書きつつ、また原発を中心に考えている自分を恨む。思考的に脱原発をしたい。でも、むりだな。本当に住めない大地なのかチェルノブイリにも行きたいし。